こんにちは。幸福の天鼠(てんそ)ブログの著者、天鼠です。
最近ブログを書くことに没頭しています。平日は定時で退社して、3時間ぐらいはブログを書いています。書いたり消したり入れ替えたり、読み返しながら修正したり、メリハリを付けて読みやすくしたり、気付いたら「げっ!もうこんな時間!」といった毎日で寝不足気味です。病気のデパート物語がいったん完結するまでは、寝不足が続きそうですねぇ。
今回は【精神病棟編】です。アルコール依存症回復プログラムは本来、2~3か月の入院期間を要しますが、そんなに仕事を休んでもいられないので、自分で1か月と決めて入院生活を送りました。解毒のみの短期入院も受け入れてもらえます。
アルコール依存症の治療の詳細はこちら↓
http://hospital.hayashi-dorin.or.jp/info/alcohol.html
はい、それでは【精神病棟編】に移りますね。
2013年9月、私はついに精神病棟へ入院することになりました。アルコール専門の病棟がある病院を受診し、その1週間後から1か月間入院することになりました。病名はもちろんアルコール依存症です。
社会復帰して約5年間、1度も仕事を休んでいませんでした。祖父が他界した時でさえ休まなかった仕事を1か月も休むことになり、職場の仲間に負担を掛けることを心苦しく思いました。
飲めなくなると考えるだけで大きな不安を感じ、飲酒欲求は心身共にボロボロの私を引きずってラストスパートを開始しました。入院の前日から仕事を休んで、付き合いの続いていた友人を「これで最後」という思いで一緒に居酒屋へ飲みに行ったのを覚えています。
結局入院当日の朝まで、アルコールを手放すことができませんでした。早く入院して治療を始めたい自分と、アルコールを取り上げられることに怯え、逃げ出したい自分が葛藤を始めていました。なんとかアルコールで不安をなだめ、独りで最低限の荷物を持って病院へ向かったのを覚えています。
今でもアルコール病棟に足を踏み入れた時の事をよく覚えています。患者が30人程集まって自治会を開いていて、病院とは思えない異様な光景でした。年齢も性別もまちまちで、70代ぐらいのおじいちゃんから20代の女性まで、見た目にはまったく共通点の無い集団でした。
アルコール病棟では自治会が週に1回あり、患者の中から自治会長を選出して町内会の様なコミュニティーを築いていました。自治会では患者から寄せられた意見や要望について話し合ったり、前進会で何をするかみんなで決めたりしました。
※前進会・・・作業療法士が関わり、患者が主導しておこなうレクレーション
私が想像していたイメージとは180度違い、病棟は開放的で、患者の意見が尊重され、患者は至って健全な人間に見えました。入院に抱いていた不安は見えないぐらい小さくなり、同じ境遇の人達と入院生活を送ることに、ワクワクするような期待すら覚えました。
始めの1週間だけは病棟から出ることができませんでしたが、病棟というよりは学生寮に近い生活をしていたので、外に出れない事で大きなストレスを感じることはありませんでした。
食事は3食みんな一緒に食堂で食べ、土日以外はアルコール依存症回復プログラムに取り組み、自分のベッドのシーツを変えたり、風呂の順番待ちをしたり、患者同士や看護師さんと世間話をしたり、時間を持て余すようなことはそんなにありませんでした。
私の入院生活前半は、以下のような禁断症状に苦しめられました。アルコール無しで寝る方法が分からずイライラする。他人の気に入らない言動や態度でイライラする。自分の思うように行かずイライラする。イライラが抑えられず情けなくなって泣いちゃう。
私は感情を内に秘める内向的な性格でしたから、それが抑えられず人に当たってしまう自分が許せませんでした。もちろん抗不安薬や睡眠薬を飲んでこの状態です。
さらに入院して昔の悪い習慣が復活しました。3年間タバコをやめていましたが「イライラの落とし所」と言い訳をして再び吸い始めました。イライラに対してタバコの効果があったかどうかは別として、時間の経過と共に禁断症状は沈静化していきました。
アルコール依存症回復プログラムで取り組んだことは、今でも思い出して私の心を和ませてくれます。
前進会ではみんなで無邪気にソフトボールをやり、週に1回はウォーキングで遠足気分を味わい、体力測定では負けず嫌いが子供の様に記録を争い、フィーリングエクササイズでは硬い体にムチ打ってヨガを体験しました。
もちろん机に座ってアルコールの害について学んだり、少人数のグループでテーマに沿って話し合い、自分の過去の出来事について考えを巡らせたりしました。
入院生活では多くの「ほんわか」する出来事がありました。それは外の世界ではほとんど感じる機会が無くなっていた感覚で、アルコール依存症で苦しんでいるはずの患者達からもたらされる、平穏に満ちた感覚でした。
本当にいい年をして無邪気な人が多かったです。当時33歳の私は病棟で下から2番目でしたから、だいたいどれぐらいの年齢層か見当がつくと思います。みんな無意識の中で、純粋に人との関わりを求めているのだと感じました。
私がアルコール依存症者とふれあい感じたことは、彼ら彼女らは心優しく、人を気遣う事に長け、頑張り屋で生真面目な人が多いという事です。こういう人達だからこそ、内面に苦しみを抱えやすく、アルコールの罠にはまってしまったのです。
実際にアルコール依存症を体験し、同じ境遇の仲間達と共に生活したからこそ、心の底から自信を持って言えます。アルコール依存症は病気です!その人が持つ人格を否定することは絶対に許せません!アルコールさえ飲まなければ、無邪気でちょっぴり寂しがり屋な人達なのだと、多くの人に知ってもらいたいです。
入院中には院外のAAという自助グループにも参加しました。私が参加した時は6名程度のアルコール依存症者が集まり、自分の酒害体験を順番に話していきました。本名を名乗る必要はなく、会費は募金程度で、飲酒を辞めたい願望があれば誰でも参加できます。第一印象は「なんか宗教みたい」という感想でした。AAはキリスト教から流れをくんでいるので、日本人には少し違和感を感じる所もあると思います。AAから学んで、今でも私が大切にしている言葉を紹介します。
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることの
できるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
※AA・・・アルコホーリクス・アノニマス
断酒会という自助グループにも参加しました。AAより規模が大きく、100人程のアルコール依存症者が集まる定例会もありました。AAと比較して年齢層が高く、会員制のため人との繋がりが濃密で、活動が活発なので会費は多少高くなります。指名された人がテーマに沿って酒害体験を語る点はAAと同じです。
私はなんとなく断酒会に入会し、退院後もしばらく断酒会へ参加していました。人との繋がりが強いので信頼関係が生まれますが、断酒会に来ることを強制されているような気持になる事もありました。始めに全員で唱和する【断酒の誓い】を紹介します。
1. 私たちは酒に対して無力であり、自分ひとりの力だけではどうにもならなかったことを認めます。 1. 私たちは断酒例会に出席し、自分を率直に語ります。 1. 私たちは酒害体験を掘り起こし、過去の過ちを素直に認めます。 1. 私たちは自分を改革する努力をし、新しい人生を創ります。 1. 私たちは家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをします。 1. 私たちは断酒の歓びを、酒害に悩む人たちに伝えます。
入院生活後半は禁断症状から解放され、穏やかな毎日を過ごしました。同じ病を共有し一緒に生活することで、私の中に仲間意識が芽生えていました。
同じ部屋の「おっさん」と、年の離れた兄弟の様に仲良くなりました。そして担当の先生や看護師さんなど、多くの病院関係者の方々に援助してもらいました。優しく励ましてくれたり、心配して声を掛けてくれたり、相談にのってくれたりしました。この短期間の中で、忘れられない思い出が数多く生まれました。
「私の人生にとって必ず必要だった1か月にしなければならない」と退院の日が近づくにつれ使命感が増していきました。この場所は「完全復活を証明して来い」と後押ししてくれるようでもありました。一方でこの場所に愛着を感じ、離れがたい気持ちも芽生えていました。ですが精神病棟に住民票を移す訳にもいかず、私は来た時より増えた荷物と、大切な出会いを胸に秘め社会生活へと戻っていきました。
精神病棟での1か月の出来事が、今までで最長の記事になりましたぁ(汗)これ以前の病気のデパートでは、なるべく簡潔にまとめるようにしていたので「精神病棟編だけずりぃ~よ」「俺ももっと詳しく紹介してくれよぉ」と他の記事が文句を言っているのが聞こえます。(あれ幻聴?)余裕ができたら読み返して不足を補っていくから許してねm(_ _)m
次回は【高血糖編】になる予定です。
ではまた次回で(#^^#)