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私は顔の無い化け物
相手のことが知りたくて仕方がない。なぜなら安心したいから。利害の見えない関係に、不安を感じてしまう。
どんなに繊細な感覚を駆使しても、自分のことさえわからない私に、相手のことなど知る由もない。それでも、相手がどう感じてどう反応するのか、息をひそめて監視する。いろんな妄想を繰り返して、妥当な線を探る。それは私の意志とは関係なく行われる。
疲れるよ。でも相手のことが知りたい。疲れるよ。でも一緒に居る理由が欲しい。私の心は浸食されて、私はどんどん消えていく。
相手が複数人いたら、疲れるのはあたりまえ。それでも感覚を総動員して、相手の心中を知ろうとする。
そして、相手の心中が微かに感じられる時がくる。ほんの一瞬だけ。私はその時に思う。私は顔の無い化け物だと…。
自分と相手の境界線が曖昧
相手の喜怒哀楽が、自分の喜怒哀楽のように感じるのはなぜ?自分の気持ちなのか?相手の気持ちなのか?わからなくなる。
その喜怒哀楽は、自分が妄想したものに違いない。無意識に相手の気持ちを妄想して、それに依存している。
相手の闇を私は感じてしまう。だから、相手と必要以上に距離をとってしまう。妄想だとしても。
単純に自分が無いだけ。それを補うために、相手の様子をうかがっているだけ。
人に触れると、相手の闇が入ってくることがある。だから人に触れることに抵抗がある。闇が入り過ぎると、なぜか声がかれてしまうことがある。
自分が無いから、相手との境界線が曖昧なんです。
例外
ごく少数ですが、利害関係がなくても不安を感じない人間がいました。
難しいことを考えなくて済むから、とても穏やかな自分でいられる。そんな自分が、私は好きでした。そんな人でさえも、関係を続けることができなかったんです。
もうひとつの例外。私はアルコールを摂取することで、その不安から解放されます。
こんな性質は、「境界性パーソナリティー障害」が深く関係しています。