こんばんは。アルコール依存と境界例に苦しむブロガー天鼠(てんそ)です。
お酒で多くのものを失ってきました。信頼とかお金とか健康とか…たくさんありますね。それでもお酒が与えてくれたものもあります。
アルコールに依存した人間が、お酒を肯定するのはダメでしょうか?
お酒が与えてくれたもの
孤独を忘れさせてくれた
お酒は少しの時間、孤独な気持ちを忘れさせてくれました。お酒があったから孤独に耐えて生きて来られました。人間は裏切るけど、お酒は私を裏切ったことがありません。
境界例で人間関係が苦痛になり、孤独な生活を送った時期がありました。悲しみは怒りへと変わり、自己破壊欲求として顕在化しました。
自分を不幸にしたい。可哀想だと思われたい。私を見て欲しい。未熟な精神は私をどんどん孤独へと向かわせました。
いつも心が満たされなかった。穴のあいたバケツのように満たされることがない。お酒を飲んだ時だけ、それが満たされる感覚を味わえたんです。
いろんな人と一緒に笑えた
お酒を飲めば、誰とでも打ち解ることができました。誰かを笑わせることも、自分が心から笑うこともできました。誰かと一緒に笑うのは楽しかった。
逆を返すとシラフではそれができなかったんです。誰かと一緒にいると、気を遣って疲れてしまいます。緊張します。誰とも会いたくない自分がいました。
自分の意志で人に会いに行くのは、私にとって大きな挑戦でした。人を誘うことにも挑戦しましたが、なぜかうまくいきませんでした。人間関係に対する恐れが無意識に伝わっていたのかもしれません。
今でも人に会うときは動悸がします。緊張して変な汗が割とたくさん出ます。お酒があれば平気なのに…。
お酒のお陰で、私はいろんな人と一緒に笑うことができたんです。
それはわたしには難しい話
お酒なしでも孤独に耐えられるようになれば…お酒を飲まなくて済むのに。
お酒なしでも誰かと一緒に笑えるようになれば…お酒を飲まなくて済むのに。
でもそれは私には難しい話です。それができたらもう私ではないような気がします。