健康/health

【結婚編】病気のデパート#2

 こんにちは。幸福の天鼠(てんそ)ブログの著者、天鼠です。

 今回は病気のデパート【結婚編】です。前回の【就職編】では後半ほとんど飲んダクレていましたが、それと並行して結婚の話も進んでいました。何か矛盾しているように感じますが、人間には一貫性が無くいろいろな側面があるということですね。それではチンパンジー・・・じゃなくて私の体験をご覧くださいね。

「えっ!? ワシの出番無いの・・・」
 

 就職して2年後の2005年5月、私は結婚を経験しました。大学1年生の頃から付き合っていた女性と兵庫-大分間で遠距離恋愛をしていましたが、その距離のせいで半年に2回程しか会えませんでした。お互い電話代や交通費が負担となり、結婚するか別れるかの2択を決断すべき状況で結婚を選びました。
 自分達にも逆らえない結婚へ向う流れの様なものがあり、その流れの中で若くて幼い2人は幸せな未来を夢見て、子供の様に胸を躍らせました。結婚が苦しい状況を変えてくれると信じていました。過酷な仕事によるストレスとアルコールは、トムとジェリー並みの名コンビで相乗効果を生み出し、私を壊しにかかっていました。

 結婚するまでに何度も兵庫-大分間を往復しなければならず、超ハードスケジュールを強いられました。そんな中でもお酒を飲み過ぎて問題行動を起こしていきました。結婚式の打合せ前日に飲み過ぎて、新幹線に乗り遅れ大遅刻する。大学時代の友人が結婚祝いパーティーを開いてくれたその夜、ブラックアウトしてホテルを抜け出し暴走する。(翌日は嫁にしかとされました・・・)もう踏んだり蹴ったりヨガファイヤーくらったりしながら結婚式当日を迎えました。

 なぜか結婚式当日の思い出はいつまでも綺麗なままで残っています。家族が全員そろい厳かに式が執り行われ、みんなから心のこもった祝福を受け、両家そろって和気あいあいと食事をしました。私は家族と幸せを分かち合い、なんとも言えない高揚感を感じました。一番印象に残っている出来事は「ここまでよくやったな」と生まれて初めて父に褒められたことです。でもそんな父を私は裏切ることになります。

 山あり谷ありで始まった結婚生活でしたが、思い描いた結婚生活とは程遠い生活を送ることになりました。
 新居で暮らし始めてすぐ、嫁はホームシックにかかり精神的に不安定になりました。知り合いは誰も居ないうえに、私はいつも深夜にならないと帰宅しなかったので無理もありません。仕事から帰ると嫁はよく泣いていました。
 私は自分のできることはすべて嫁にしてあげようと、寝る間も惜しんで奮闘しました。仕事の合間に電話をして励ましたり、仕事から帰って気分転換に【真夜中のドライブ】に行ったりしました。
 私自身も心身共に疲れていましたが、私は長年嫁の我がままと付き合ってきたので、嫁の考えていることがエスパー並みによく分り、それがゆえに自分を後回しにしてでも嫁の為に尽くしました。

 嫁は我が強く喜怒哀楽が豊かな女性でした。適切なたとえではないかもしれませんが、典型的なB型でした。やりたいこと、行きたいところ、食べたいものなどすべて嫁が決めていました。こだわりが無く優柔不断な私との相性は抜群でした。
 私は嫁の我がままを聞くのが大好きでした。嫁のやりたいことは私のやりたいこと、嫁の行きたいところは私の行きたいところ、嫁の意思は私の意思と本気で思っていました。実はその関係こそ私が【うつ病】を発症する一番の原因だったのです。

 私の自我はとても未熟で、どれが自分の考えでどれが嫁の考えなのか区別ができず、自我の強い嫁にしがみつき自我を確立した気になっていたのです。表向きは嫁が私を頼っているように見えて、実は私の方が嫁に依存していたのです。結婚して一緒に生活することで、私の中でさらに【自分と嫁の境界線】が曖昧になって行きました。

 私が奮闘したのはほんの数ヶ月だったと思います。表向きは嫁に尽くす毎日を送る一方で、徐々に自宅でも心が休まらない状態になりました。嫁のわがままに付き合うのが苦痛になっていたのです。
 仕事をいつもより早く終わらせ、弱った嫁に嘘をついて歓楽街で一杯飲んで帰るようになりました。私はアルコールを飲むために嫁に嘘をつき続けました。嘘をつくことでどんどん罪悪感は増していき、それをアルコールを飲むことで自分の見えない所へ追いやろうとしました。
 この頃の私は、人間関係を満喫するために飲んでいたはずのアルコールが、いつの間にか心の苦しみを紛らわすために飲むようになっていました。

 この頃から私の未熟な自我は反乱を始めました。私の中の【自分と嫁の境界線】は今までに無いほど曖昧になり、私の自我はこれ以上黙殺されることを拒みました。誤ってドミノが倒れ始めるように、いろんな所から一斉に反乱が始まりました。収拾がつかず、気付いた時には辺りの光景は変わり果てていました。

 私はうつ状態になり、ある出来事を境に何もできないくらい無気力で、少しの怒りや悲しみも制御できず、感情をむき出しにする人間に豹変しました。仕事どころか日常生活もままならない状態になりました。たった数日で今までいろんな人から集めた信頼は一気に消え去り、家族が私を見る目には困惑、非難、憐み、憤りをハッキリと映していました。
 私はもう以前のような自分には戻れないのだと感じました。終わりの見えない底なしの苦しみが、当たり前のように毎日訪れました。長年自分の意思をないがしろにしてきた、私自身の未熟さが招いた結果でした。 

自分はいったい何者なのか? 「ワシはラルク××××ルに所属しています」

 

 書いていて当時を思い出しました。15年経っても動悸がして少し息苦しくなりますねぇ。次回からはもう続きを書くのをやめようと思っています。

 というのは冗談で、少し休憩ということで【幸福の追求】の為にやっている【断捨離】について紹介して行こうと思います。

 それではまた次回で(#^^#)