仕事で10年前から付き合いのあるベトナム女子と、約1年半ぶりに再会しました。
【恋愛感情2 友情編】捨てるベトナム女子あれば拾うベトナム女子あり
あらすじ
実習生のとき
10年前は、ベトナムから来た技能実習生でした。
職場では笑顔の絶えない明るい子で、昼休みにはいつも日本語を勉強している子でした。
日本語の理解が良い彼女の存在は、他の技能実習生たちとのコミュニケーションを容易にしてくれました。
「なんでそんなに淋しそうな顔をしてるの?」
元気の無い私を気遣ってくれる、優しい子でもありました。
結婚して日本へ
技能実習生として3年間勤務したあと、いったんベトナムに帰りました。
その後すぐ、日本に住んでいるペルー人と結婚して、日本で一緒に生活をしていました。
職場に復帰してくれたので、そこでまた関係ができました。
子供が産まれて、ベトナム寮に子供を連れて来たりもしていました。
しかし、ある日突然仕事をやめていなくなってしまいました。
Facebookのアカウントが削除され、連絡がとれない状態になりました。
シェルター
夫のDVが原因でシェルターに入っていました。
詳しくは聞いていないです。向こうが話すまでは聞かない所存です。
シェルターの場所を知られてはいけないので、外部と連絡はできないとメッセンジャーで連絡がありました。
連絡しとるやん(゚Д゚)ノ
限られた連絡相手として、私を選んでくれたようです。私は他人とプライベートなことを話さないので、的確な人選ですね(笑)
当時は、ベトナムに帰ったという噂が流れていました。
そんなん知らんふり(^_^)
メッセンジャーで、今の辛い気持ちを精一杯の日本語で送ってきました。
「日本に子供を置いてベトナムに逃げたい」と本音を伝えてきました。あんな優しい子が、そんなことを言うぐらい追い詰められていることに心を痛めました。
頼れる親類などいない状況。
異国の地で離婚調停だなんて…大変なことだろう。
自由に外も歩けないと嘆いていました。
ときどきそんなメッセージのやり取りとしました。そんなやりとりは1年以上続きました。
いつも笑顔だった彼女の笑顔が想像できなくなりました。
私はメッセージの終わりには「私はあなたの味方だからね」という内容のメッセージを送りました。
「いつでもメッセージくださいね」私には聞いてあげることしかできない。
昨年の年末秋頃からは、離婚が成立してシェルターから出られるとのことで、少しずつ前向きになっていました。
再会
「年末に引っ越ししたので会いに来て」どんどん前向きになる彼女。
会いに行きます。
最寄りにJRの駅がないので、久しぶりにバスに乗りました。
年始の木枯らしビュービューの中、Googleマップを頼りに引っ越した公営住宅まで歩きます。
5階建ての公営住宅の前で電話します。
間もなく、彼女が階段から降りてきます。娘と下の息子を連れて。
久しぶりに笑顔が見れて嬉しかった。彼女の笑顔を思い出しました。
持ってきたお土産を娘に渡すと、6歳とは思えない社交的な「ありがとう」が返ってきました。母親ゆずりの笑顔も見せてくれました。とてもしっかりした子です。
ビックリしたのは、そのあと娘がいきなり手を繋いできたことです。とても人懐っこいです。
小さくて温かい手でした。手からストレートに心がおどっているのが伝わってくる。自分も子供になった感じがする。手を繋いで一緒に5階まで階段で上がります。
公営住宅です。エレベーターなどありません。
引っ越したばかりの、ガランとしたダイニングに案内されます。子供たちがクリスマスツリー、描いた絵、おもちゃなどを次から次へと持ってきて見せてくれます。
人が来るととても喜ぶそうです。シェルターに入っていたのだから、さぞ人恋しい生活を送っていたのでしょう。
昼ご飯を作ってくれました。
鮭の塩なし焼きとご飯とうどん?
がんばって日本人メニューを作ってくれたが、白いご飯とうどんが並んで置いてあるのは違和感でした。こういうとき、文化の違いって怖いなって思います。おにぎりだったらセーフなのに不思議ですよね。
彼女は、日常生活に困らないぐらいの日本語は話すことができます。でも「炭水化物」とか「人間ドック」とかはわかりません。
糖尿病について聞かれたときも、どう説明したらいいのか…限られた言葉で説明するのは難しいです。でも、彼女が日本を理解してくれるお陰でコミュニケーションができるのです。ありがたいです。
困ったことに、娘はすでに親を上回るボキャブラリーを身につけつつありました(笑)あと数年すれば、確実に親より日本語が話せるようになります。
昼休みに日本語の勉強をしているのを見ていたので、なんか複雑な思いです。
やはり娘の戦闘力が高いです。ドドリアさんと同じぐらいあります。
しゃべるのが好きらしく、ずっと話しかけてきます。
「これから大人の話があるんでしょ」とか(笑)
おそらく母の気持ちを理解して、その気持ちを受けて使命感に燃えているようだ。
「ママなんでそんなに嬉しそうなの?」
「ママなんで唇がキラキラしてるの?」
母の気持ちを、間接的に私にアピールしているのがわかる。
考え過ぎ(;’∀’)
6歳の子供がこんな高等技術を使うとは…子供ってこんなだっけ?
手を繋いできたのもおそらく作戦だ。
考え過ぎ(;’∀’)
私は笑って間接アピールを受け流す。
私にはその好意が正直しんどい。嬉しいけど。
距離を詰めてくる相手を前に、いつも通り身構えます。
近づき過ぎないように。私ができるのは自分の気持ちに正直に、相手に敬意を払って対応すること。対応するって言い方なんか心が無い。
親愛なるベトナム女子との距離感、気を付けなければ。でも丁度いい距離での付き合いなどできた試しがない。しんどくなって裏切ってしまうかも。今から心配する。
子供は苦手だが、必要に迫られればいけると実感した。あと子供ってすごいなって思った。大人が感じられないことを子供は感じている。すべてにおいて大人が優れているわけではないのだ。
今は資格を取って介護の仕事をしている。頑張っている。
ベトナムには10年近く帰っていないらしい。両親に会うめにベトナムに帰りたいが、子供が小さいから帰れないと言う。
行動もいまだに制限がある。まだ以前の生活圏には行けないようです。なるべく控えめに生きなければいけない。コロナ禍よりも大変だと思う。
なんやかんやでまた会う約束をして帰った。
なんだかなぁ
前向きに考えられず、終わりの見えない苦しみになすすべもない。
自分を情けなく思い、自己嫌悪が孤独を誘い、涙がでなくなる。
なにもできなくなる。
そんなとき切実に願った。こんな自分でも無条件で愛をくれる存在があらわれることを
だから私は、誰かのそんな存在になりたかった。
あの時の自分が欲しいと願った存在に今の自分がなろうと努めることで、あのときの自分も喜んでくれる気がした。
自分が苦しい経験をしたから、彼女の苦しみを少しでも…って思える。
だからあの時の自分に、「なにも無駄なことなどないよ 意味のあることだったよ 誰かの力になれるときがくるんだよ」と伝えてやりたい。
昔の自分の供養だ。
私は、自分のために彼女をサポートしているのだと自覚した。
「サポート」って言い方なんか心が無い。
普段会わない人と会って話をすると、気分がおかしくなります。
帰ってからソワソワ、イライラして落ち着かない。動悸がする。
集中できないから、その影響がブログを直撃しております。
なにかをもらって帰ったみたいです。
ちょっとお酒が飲みたくなりました(>_<)