こんにちは。禁酒から減酒に方向転換したアル中、天鼠です。
やってみなけりゃ分からない。減酒を通して固定観念は壊すべき壁だと再確認しました。
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「減酒にっき」で飲酒を見える化
いつどれぐらい飲酒したのかを見える化することで、飲酒に対する意識が変わるキッカケになりました。
百聞は一見に如かず。「減酒にっき」をごらんあれ。
クローバー:飲んでない
黄色い顔:適量飲んだ
青い顔:飲み過ぎ
純アルコール量が60gを超えると青い顔になります。
減酒をはじめて変わったこと
飲むか飲まないかは重要ではなくなった
「減酒にっき」をはじめてから、減酒を意識するようになりました。そして飲酒に対する意識が変わりはじめました。
私にとって飲まないことよりも、適量飲むことの方が難しいです。ですが「減酒にっき」には、適量飲んだときの黄色い顔がチラホラ見えはじめました。
私の中で一番の変化は、「飲むか飲まないかはそれほど重要ではなくなった」ことです。
お酒をやめることをやめられた
お酒を飲むこと自体は問題ではなく、コントロールできないことが問題なんです。
アルコールの専門医には「アルコール度数の高いストロング系は控えましょう」と指導を受けています。私の症状を理解していないのだと感じ、断酒を指示しなかった医師に腹を立てていました。
アル中が一度飲み始めたらコントロールなどできない、だから減酒などうまく行きっこない、そう思い込んでいました。
しかし今は違います。医師は適切な診断をしてくれたと思います。
減酒に切り替えて「お酒をやめることをやめられた」ので、お酒に対して大きなプレッシャーを感じなくなりました。
お酒に幻想を抱くこともなく、コンビニのお酒コーナーで葛藤することもなくなりました。
お酒を買いに仕事帰りにコンビニへ寄っても「やっぱり飲むのは明日でもいっか」と買わずに帰ることもあります。
意外にも禁酒をやめることで、強い飲酒欲求から解放されたんです。
禁酒したいと強く願うことで逆に飲酒欲求を増大させ、飲酒のコントロールを難しくしていました。
飲酒を悪いと思わなくなった
飲むことは悪ことだと、やめるべきだと思っていました。そしてそれは、隠れて飲酒することを助長する結果となりました。
飲むこと自体は悪くないと考えを変えられたので、堂々と味わってお酒を飲めるようになりました。
以前はぬるいビールでもよかった、酔えたらそれでよかったんです。
今は実家の冷蔵庫にビールを入れます。美味しく飲むためです。適量なら堂々と飲みます。
飲酒という行為を悪いことだと思わなくなると、だんだん適量で止めることができるようになりました。そして自分に自信がもてるようになりました。
お酒を買うときは、純アルコール量が60gを超えないように計算しています。
禁酒は飲んでも飲まなくても地獄
禁酒は常に崖っぷちに立たされている気分。死ぬまで飲酒欲求と戦い続け、悩み苦しむ未来しか見えてこない。
飲むか飲まないかが、その後の生活を大きく左右する。だから激しく葛藤することになる。
飲んでしまうと毎日二日酔いで体調が悪く、充実した人間生活は望めない。社会的信用も失っていくに違いない。アルコールの奴隷になり下がる。
飲まなくてもアルコールの奴隷に違いはない。飲まないことに心血を注ぐ一方で、お酒に幻想を抱き続ける人生を送ることになる。
飲んでも飲まなくても地獄なのだ。
やめることでは永遠に満たされない
やめることで何がみたされるのか?死ぬ直前に「あぁ禁酒に成功したんだなぁ」って思いながら死にたいの?そんな人生送りたくはない。
禁じることには、いつかそれを破ることがセットで付いてくる。
「やめたい」を「やりたい」に変える
何かをやりたいはすぐにでも満たされる。やめたいと願い続ける人生より、やりたいであふれる人生の方が楽しそうでしょ。
最後に
私は「境界性パーソナリティ障害」と診断された過去があります。どうやら薬物に依存しやすいんです。
だから正統派のアル中ではないんです。アルコール依存症ではなく、アルコール依存状態になりやすいんです。
アルコール依存症でないのなら、減酒を試みる価値はあります。
まだまだ減酒ははじまったばかり。この先どうなることやら…。
なにはともあれ、減酒が平穏な日々をあたえてくれた話でした。